親父永眠

 長年に渡って介護に、最後は老々介護になっていました親父が昨日逝きました。
苦しまず大きな息をした後、眠るように動かなくなりました。

 鉄道が好きになったきっかけも、考えてみれば車の免許を持たなかった親父であります。
親父は京急が好きでして、元気な頃によく連れて行きました。

 ブログ記事でも度々文章の中で出て来た話であるためご報告まででございます。

吾妻線大前駅にて115系に出会う。

吾妻線大前駅に発車を待つ115系170923
 北軽井沢の会社保養施設から車で1時間も掛からなく、吾妻線大前駅に行けます。
本当の目的は、駅前に日帰り入浴が出来る温泉施設があるということで足を延ばしましたが、
8月で終わっていました・・・・。
大前駅に停車中の115系170923

 しかしながら、こいつがホームに入線していまして、私的には美味しい鉄分補給の状況となったのであります。
というか、吾妻線の大前駅まで行く列車は本当に少なく、ご覧の通り1日5本しかありませんで、
訪れた時間に偶然に発車を待つ列車(14:31発)でありました。しかも115系であります。
170923現在の大前駅時刻表

 吾妻線の終端駅の大前は1面1線で、
ホームには見るからに判る鉄がいらっしゃいまして、イイカメラ片手に写していましたね。
115系行先側面幕

といいながら正直115系ですので私もテンションが上がりまして、携帯で写してしまいました。
115系車内170923現在

今回の旅行は親戚も同行していまして、次の万座鹿沢口駅まで乗車したらというご厚意のより、
1駅間ですが乗り鉄を行って満足であります。しかも親戚が車で回送して頂きました。
吾妻線万座鹿沢口駅
 
 そして万座鹿沢口駅で下車しましたが、チョット前までが特急はここまで乗り入れていたような気がします。
今は、その手前の長野原草津口駅までしか特急は行かなくなってしまい、
この万座鹿沢口駅は益々寂れてしまったような感じであります。
ここも1面1線であります。

 ということは、長野原草津口駅から大前駅は閉塞区間なのかあ。と思ったら羽根尾駅と大前駅が閉塞区間であります。
115系もいつまで見られるかが心配の形式になるとは・・・。
見られたこの型も行先方向幕の部分がなく白抜きの「普通」がみたかったなあ。
瀬戸の滝

帰りの途中国道沿いに滝があり、びっくり!瀬戸の滝だそうです。マイナスイオンバッチシ!
浅間牧場横にあるそば屋の野菜天ざる

 ここに来る前には、浅間牧場の目の前にあるそば屋もボリューム満点で、
泊りがけでの旅行は久しぶりでありました。
何かと鉄分に味わえたのも良かったです。

草軽電気鉄道の北軽井沢駅跡を巡る。

旧草軽電鉄北軽井沢駅ホームと電気機関車模型
 
 会社の保養施設がある群馬県長野原町の北軽井沢へ行って来ました。
親父をショートステーに行くことが出来たため、久しぶりの宿泊旅行であります。
旧草軽電鉄北軽井沢駅舎

 もう会社に入ってから10回以上来ている北軽井沢でありますが、
このような鉄道遺跡があるとは知りませんでした。
群馬県長野原町部分の草軽電鉄路線図

 というか、車でも険しい浅間山山麓にしかも、新軽井沢(現在の軽井沢駅)と
草津温泉まで軽便鉄道が走っていたとは到底信じられませんが、
草軽交通というバスが走っており、この鉄道の名残りなのであります。
旧草軽電鉄北軽井沢駅ホーム側
旧草軽電鉄北軽井沢駅線路跡基礎部分

 当時は賑わっていた形跡が残る駅舎と駅前通りっぽい道路の配置が残っている
北軽井沢駅周辺とモニュメント的に復元した、草軽電鉄の北軽井沢駅舎もノスタルジックそのもの。
鉄道遺跡は訪れると何だか感動してきます。
草軽高原を往く、北軽井沢・草軽電鉄の時代パンフ

 草軽電鉄の存在は、鉄道模型のナローゲージの紹介記事があった「鉄道模型趣味」という雑誌であります。
こんな電気機関車や客車、本当にあったの?ナローの鉄道模型といえば下津井電鉄でしたが、
僕の時代で読んだ鉄道模型趣味に確かに載っていたことを思い出します。
草軽電鉄の写真展
草軽電鉄のパンフからの写真

 ちょうど訪れた時期は、旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎内で写真展を開催しておりまして、
私が生まれる1年前に廃止となった草軽電鉄の存在を妄想の如く蘇って来そうな体験をした感じでありますね。
草軽電鉄の模型も北軽井沢にて
草軽電鉄の客車模型


 鉄道遺跡ってこんなに感動するものとは想像も出来なかった体験でありました。
鉄コレ営団地下鉄銀座線2053編成6両をN化

 4日間の宿泊出張は精神的に疲れた中、やっと土日となりました。
この間父親もだんだん悪くなり、とうとう寝たきりとなってきて、4日前までから比べても進んでしまっていました。
幸い食事は、与えれば食べてくれるので・・・・。ただ誤嚥によるせき込みがひどく、もう最後の入院かなあ・・・?
鉄コレ銀座線N化

 という訳で、土曜日は良い天気であったので、相方と買い物に出かけたり、
日曜日は趣味でもということで、僕の時代の車両の鉄コレ銀座線吊掛け混合編成2053編成6両をN化しました。

 N化と言っても鉄コレのN化は、自分なりに妥協が大切でありますし、
僕の時代のNゲージに比べれば、雲泥の差の精密さでありますので、
私のこの車両のN化パーツは、こんな感じであります。
TM-10R単独走行試験

動力ユニットTM-10Rは取り付ける前に単独で試運転を行い、必要に応じて、
分解調整を行います。今回は一発でOKで分解調整不要でありました。

 今回私の場合は中間車を選んで動力ユニットTM-10Rを取り付けます。
パッケージには、1824形と1360形は動力化は出来ないとの説明書きとなっています。
鉄コレ銀座線1557形1558形N化動力は1558形に

ですので、1558形を選択しましたが、付属の台車枠が左2右2向きとなっており、
泣く泣く、1558形の台車の枠部分を切って取り付けるということに・・・。ここ注意ですよ。

 付属のスペーサはMを使用し、連結器はKATOカプラー密連形グレーにて、
Nゲージ走行用パーツTT-04R付属のアーノルトカプラーポケットに取り付けます。
所謂連結器は台車マウントであります。
鉄コレの中間連結器はKATOカプラー密連形をバネ必須

 アーノルトカプラーポケットに取付の際、バネは再利用して必ず取り付けます。
バネを取り付けないと、走行すると前後微動を起こしたり、遊びによって車両間隔が変わったりを
防止できるのであります。あくまでも個人的な経験上ですがね。
鉄コレの台車転がり抵抗調整と連結器取付

 金属車輪も台車に取付の際は、なるべく回転抵抗が無いように、
台車を微妙に広げたり、金属車輪も間隔を調整して台車に取付完了であります。
鉄コレ銀座線2053形と2054形をN化

 先頭車2053形、2054形は先頭車同士の連結の機会なんてないのでありますが、
そもそも鉄コレのダミーカプラーが貧弱でありまして、どうせの事TNカプラーに変えた方が
何となく顔が引き締まるのであります。
TN化干渉対策は車体内側この部分を削ります

注意点はTNカプラーの角が車体内側で干渉するので、車体内側を削る所であります。
TN化し2053形2054形同士で連結可能

 お陰様でこんなことも実現出来ましたね。

 問題の両運転台吊掛け駆動1824形でありますが、前項で述べた通りKATOカプラー密連形グレーを採用。
鉄コレ銀座線1824形N化でKATOカプラーで妥協中間車だし

これ一台では走行させませんし、意外と密連に電連的デザインなので、ジャンパ髭は妥協すればそれなりであります。
鉄コレ銀座線1360形もN化
鉄コレ銀座線1824形1360形吊掛け車両もN化

 勿論、吊掛け駆動2両は中間車ですので、私方式で1360形も完了。1824形と連結完了です。

 早速、試運転しました。鉄コレ動力ユニットは元々スケール走行でのギヤ比の設計と私は感じますね。

さて、これにて「僕の時代」の鉄コレ大量増備車両のN化が完了しました。
レイアウトデビューまで暫くお待ちください。
鉄コレ東武2000系をN化
 
 早速、鉄コレ大量増備した「僕の時代」車両のうち、
東武2000系基本4両、増結4両をN化しました。

 先頭車の密自連ダミーは今一頼りなくインパクトに欠けるので、
チョット大きめかもしれませんが、実用重視でTNカプラーに交換。
パンタグラフも推奨品ではなく、リアル追求のためGM製を採用しました。
鉄コレ東武2000系N化の中間連結器

 中間連結器はKATO密着カプラーでの台車マウント方式を踏襲です。

 そして試運転はスケール速度での日比谷線ならではの急カーブ想定のものであります。
鉄コレ都電7022形旧塗装をN化

もう一つは都電荒川線7022もN化しました。これは床下機器はマニュアル通り、
動力ユニットを長の位置に設定し、N化完了です。

 スケール速度追及のため超低速走行であります。

ただ年取ったせいか、営団2053編成のN化までたどり着けませんでした。